雲のむこうへ

面白い

機体番号JA8721、ボーイング787型機――この飛行機には、ある小さな秘密があった。
それは、他のどの機体よりも「旅人の願いを叶える力」が少しだけ強い、ということだった。

機長の藤崎大地は、それを知らなかった。
彼にとって飛行機は、子どもの頃からの夢であり、空を飛ぶための機械だった。
「よし、今日も頼むぞ」
タラップを上る前、彼は必ず機体に手を置いて声をかけるのが習慣だった。

4月のある朝、藤崎は羽田空港から札幌行きの便を担当していた。
天気は快晴、絶好のフライト日和。
乗客たちは、春休みを利用して旅行に出かける家族連れや、恋人同士、そして一人旅の若者たちでにぎわっていた。

その中に、ひときわ目立たない少女がいた。
髪を肩まで伸ばし、色褪せたリュックを抱えた彼女は、窓側の席に静かに座っていた。
名前は美咲。
16歳。
父親を亡くしたばかりで、思い出の地――北海道の小さな町へ、一人で向かう途中だった。

飛行機が滑走路を加速し、ふわりと浮かび上がったとき、美咲はぎゅっと目を閉じた。
「お父さん、今、空にいるの?」
誰にも聞こえない声で、そうつぶやいた。

雲の上に出た頃、藤崎はふと計器類から目を離し、広がる雲海を眺めた。
その瞬間、機体のフロントガラス越しに、不思議な光が一筋、見えた気がした。
「あれは…?」
副操縦士の佐々木も首をかしげたが、レーダーにも何も異常はなかった。

客室では、美咲が目を開き、窓の外を見つめていた。
そこには、あり得ない光景が広がっていた。
一面の銀色の雲海に、虹の橋がかかっていたのだ。
虹の端はまるで、飛行機の進行方向を指し示すように伸びていた。

隣の席のおばあさんが驚いた声をあげる。
「まぁ…あれは『天上の道』っていうんだよ。昔から、特別な想いを持つ人にしか見えないって言われてるんだよ」
美咲は、虹に目を奪われたまま、そっと手を合わせた。
「お父さん、見守ってくれてるんだね」
涙がにじんだが、笑顔だった。

飛行機は虹の橋をかすめながら、順調に北へ向かった。
数時間後、着陸態勢に入ると、藤崎は再びあの光を見た。
今度は、機体の両翼をなぞるように、淡い光が走っていった。

「今日のフライト、なんだか特別だったな」
着陸後、整備士たちに機体を引き渡しながら、藤崎はぽつりと言った。
それを聞いた古参の整備士、浜田がにやりと笑った。

「このJA8721はな、昔からちょっと変わってるんだ。
困ってる人や、何か願いを抱えてる人が乗ると、不思議と”いいこと”が起きるんだってよ」

「まさか、そんなオカルトみたいな話――」
藤崎は苦笑したが、その夜、宿舎で美咲が投稿したSNSの記事を目にした。

【今日、飛行機の窓から「空にかかる虹の橋」を見た。
お父さんが「空の上でもずっと一緒だよ」って言ってくれたみたいだった。
ありがとう、JA8721。
また会いに来るね。】

藤崎はスマホを握りしめたまま、しばらく画面を見つめた。
そして、小さくつぶやいた。

「……ありがとう、JA8721」

外では、夜空に浮かぶ満天の星々が、静かに輝いていた。