春の約束

食べ物

祖母が亡くなった春、私は実家の縁側で、一人桜を見上げていた。
風が吹くたびに、はらはらと花びらが舞い落ちる。
その景色は、幼いころ祖母に手を引かれて歩いた、あの日の参道を思い出させた。

「今年も、桜餅を作ろうな」

毎年、桜が咲くころになると、祖母は小さな声でそう言った。
もち米を蒸し、餡を包み、庭の桜の葉を丁寧に摘んで塩漬けにした。
台所は甘い香りと、葉の青い匂いに包まれ、私たちは笑い合いながら手を動かした。

祖母は料理が得意だったわけではない。
味噌汁も時々しょっぱかったし、煮物も焦がすことがあった。
でも桜餅だけは、なぜか特別においしかった。

「春の味がするね」と私が言うと、祖母は照れくさそうに笑った。

祖母が亡くなって、初めての春。
私は何もする気になれず、ぼんやりと桜を見上げていた。

そんなとき、ふと、台所からカサリ、と音がした。
誰もいないはずの家に、小さな気配が漂ってくる。

恐る恐るのぞくと、棚の上に見覚えのある竹かごがあった。
中には、去年祖母が塩漬けにしてくれた桜の葉が、そっと包まれていた。

「……おばあちゃん」

声にならない声を漏らしながら、私は葉を手に取った。
少ししなびているけれど、塩の香りと、かすかに残る桜の匂い。
それは確かに、祖母が生きた証だった。

私は、台所に立った。
もち米を洗い、せいろにかける。
餡は市販のものしかなかったけれど、祖母も「市販ので十分だよ」と笑っていた。

蒸気が台所に広がる。
目を閉じると、あの日々が戻ってきたような気がした。
祖母の声、笑い声、温かい手。

もち米をすりこぎで半分ほどつぶし、丸める。
餡を包み、そっと桜の葉で巻く。

指先に、春の柔らかさが宿る。

一つできあがった桜餅を、私は縁側へ持って行った。
祖母がいつも座っていた場所に、そっと供える。

「できたよ、おばあちゃん」

風が吹いて、庭の桜がまたはらりと舞った。
ふわり、と甘い香りが、私の頬を撫でる。

その日から、私は毎年、桜餅を作ることに決めた。

少しずつ、味も形も、祖母のものに近づいていった。
けれど、完璧に同じにはならなかった。
餡がはみ出したり、葉が破れたり、蒸し時間を間違えたり。
でも、それでいいのだと思う。

祖母が私に教えてくれたのは、完璧な味よりも、
「誰かを思って手を動かすこと」だったのだから。

春になるたび、私は桜餅を作る。
そして、誰かに届ける。
家族に、友人に、時には知らない誰かにも。

「春の味がするね」

そう言ってもらえるたびに、私は胸の奥が温かくなる。

きっと、祖母もどこかで笑っている。
あの日と同じ、少し照れくさいような顔で。

風が吹くたび、私は空を見上げる。
はらり、はらり。
桜の花びらが、今日も優しく、世界を包んでいく。