町外れのアパートに、ニラが大好きな男が住んでいた。
名は島田光太(しまだこうた)、三十六歳、独身。
スーパーの青果売り場で働く彼は、毎日規則正しく仕事を終え、まっすぐ帰宅すると、冷蔵庫に入っているニラの束を取り出しては、ニラ玉、ニラ炒め、ニラうどんと、その日の気分で夕食を作るのが日課だった。
「ニラはええなあ……強い匂いに、強い味。なんや、元気になる気がするんや」
誰に言うでもなく、鍋を振るいながらぼやく。
料理番組では「香りが強いから少量で」と言われるが、光太は違った。
ニラは主役。
ニラの存在感に満ちた一皿を食べ終わるころには、心も体もほかほかになっていた。
ある晩、仕事帰りにいつものスーパーへ寄ると、ニラの棚が空っぽだった。
「えっ、売り切れ?」
店員に尋ねると、「今日は入荷が少なかったんですよ」とのこと。
光太は軽く絶望しながら家路についた。
その帰り道、公園のベンチにぽつんと座る黒い猫が目に入った。
けれど、ただの猫ではなかった。
暗がりの中で、うっすらと緑色に光っているのだ。
目の錯覚かと思い、近づくと、猫がふいっと立ち上がり、光太をじっと見つめた。
「おまえ……光ってるやんけ」
猫はにゃあと鳴くと、公園の外れにある草むらへと歩き出した。
なぜか導かれるように、光太はそのあとをついていった。
すると、草むらの奥に、ひっそりと広がる畑があった。
月明かりの下、そこにはまるで夢のように、見渡す限りのニラ畑が広がっていた。
「な、なんやこれ……」
猫は畑の端でぺたりと座り、「どうぞ」とでも言うように尻尾を振った。
光太は夢中でニラを見つめ、手に取り、鼻に近づけた。
「これは……最高や。スーパーのより太くて、艶がある。香りも濃い」
まるで宝物を見つけたかのように、その場に座り込んでしまった。
次の日も、仕事終わりに猫が現れた。
また畑に案内され、光太は少しだけニラをもらって帰った。
もちろん、誰にも言わずに。
ある晩、光太は思い切って猫に尋ねた。
「おまえ、一体何者なんや? なんでニラ畑なんて知ってんねん」
猫は答えなかった。
ただ、尻尾をゆっくりと動かしながら、光太の膝にすり寄ってきた。
そしてその夜、夢の中で声を聞いた。
「ニラを愛する者よ。この畑は、忘れられた味を守るために存在する。君がそれを大切にしてくれるなら、この場所はいつでも君のものだ」
目を覚ました光太は、なぜだか涙ぐんでいた。
それからというもの、光太はそのニラを少しずつ大切に収穫し、ご近所にお裾分けしたり、レシピを研究してブログに載せたりと、少しずつ自分の「ニラの輪」を広げていった。
猫はいつも静かにそばにいた。
名前もつけなかったけれど、光太は心の中で「ニラ丸」と呼んでいた。
ある日、町の食フェスで「幻のニラ料理店」として出店し、光太のニラ餃子が話題になった。
「どこでこんなニラを仕入れてるんですか?」と聞かれるたび、光太は笑ってこう答えた。
「ちょっと特別な猫が教えてくれるんですよ」
彼の目は、いつもどこか光っていた。
まるで、あの猫と同じように。