ラベンダーの丘で

面白い

山あいの静かな村に、ひとりの男がいた。
名は佐久間慎一。
年の頃は五十を過ぎ、髭には白いものが混じっていたが、背筋はまっすぐで、眼差しは少年のように澄んでいた。

慎一は二十代の頃、東京の広告会社で働いていた。
クリエイティブな仕事に憧れ、寝る間も惜しんで働いたが、都会の速さと喧騒は次第に彼をすり減らしていった。
気づけば、自分が何のために働いているのかもわからなくなり、ある日、電車の窓から見えたラベンダー畑の写真が、彼の運命を変えた。

その一枚の写真は、北海道の美瑛町で撮影されたものだった。
紫色の絨毯が風に揺れ、遠くに見える十勝岳が青空を背負っていた。
慎一はその写真を何度も見返し、やがて意を決して退職。
車一台に荷物を積み、美瑛へ向かった。

土地を探すのに半年、ラベンダーの栽培法を学ぶのに三年かかった。
花農家の手伝いをしながら、土を知り、季節の巡りを感じ、風の匂いに耳を傾けた。
初めて自分の畑にラベンダーが咲いた年、慎一は涙が止まらなかった。
畑の真ん中で一輪のラベンダーを手に取り、青空を仰いだとき、やっと「生きている」と思えた。

それから二十年以上、慎一はただひたすらにラベンダーを育て続けた。
農薬を使わず、手で雑草を抜き、収穫も一束一束を丁寧に。
利益はほとんど出なかったが、毎年夏になると、彼の畑には訪問者が絶えなかった。
写真家、旅人、地元の子どもたち。
彼らは慎一のラベンダー畑で笑い、深呼吸し、写真を撮った。

慎一には家族がいなかった。
結婚もせず、子どももいない。
でも、畑に咲くラベンダーが彼の家族だった。
一株一株に名前をつけていたわけではないが、毎朝畑を歩きながら、「今年は元気だな」「こっちはまだ寝ぼけてるな」と声をかけていた。

ある年、慎一は病に倒れた。
医者の診断はがん。
余命は一年と言われたが、彼は入院を拒み、自分の畑で最後まで生きることを選んだ。

その年の夏、畑はかつてないほどの紫に染まった。
風が吹けば香りが波のように押し寄せ、まるで畑全体が慎一に「ありがとう」と囁いているようだった。

慎一は、ラベンダーの間に小さな木のベンチを置いて、毎日そこで過ごした。
体は衰えていたが、目は最後まで澄んでいた。
ある日、村の子どもが慎一に聞いた。

「どうしてラベンダーばっかり育てるの?」

慎一は笑って答えた。

「ラベンダーはな、香りで人の心を癒すんだ。でも、癒してるうちに、自分も癒されるんだよ。」

それから間もなくして、慎一は静かにこの世を去った。
ベンチの上で、ラベンダーの香りに包まれながら。

彼の葬儀は村の小さな教会で行われ、ラベンダーの花束が祭壇に並んだ。
彼の畑は、村の有志たちが手入れを続け、今も夏になると見事な紫に染まる。

人は生涯で、何を残すべきだろう。
家か、金か、名誉か。
慎一は、一本の花、一面の畑、そして無数の記憶を残した。

今も風が吹くたび、ラベンダーの香りが丘を渡り、誰かの心をそっと癒している。