トンネルの向こうで

不思議

町の外れに、誰も近づかない古いトンネルがある。
鉄道用に掘られたものだが、線路はすでに撤去され、今では草と蔦に覆われたコンクリートのアーチがぽつんと残るだけ。
地元の子どもたちは「幽霊トンネル」と呼び、夕暮れ時になると決して近づこうとはしない。

春休みのある日、僕はそのトンネルの前に立っていた。

きっかけは、祖父の話だった。
ボケ始めたと家族は言っていたけれど、僕にだけははっきりと話してくれた。

「……あそこには、時間の穴がある。通れば、向こう側には“もうひとつの世界”があるんじゃ」

小さなころはただの昔話だと思っていた。
けれど、祖父が亡くなった今、その言葉が不思議と心に残って離れなかった。

トンネルの中は思っていたより暗く、冷たい空気が肌を刺す。
スマートフォンのライトをつけ、ゆっくりと歩を進めた。

五十歩、百歩と進んでも出口は見えない。
距離の感覚が狂ってくる。
ふと、背後を振り返ると、来た道も見えなくなっていた。

「え……?」

スマホの画面が一瞬ちらつく。
再び前を向いたとき、そこには――光があった。

やがて、僕はトンネルの向こう側へと出た。
だが、そこには見慣れた町ではなく、まるで絵本の中のような風景が広がっていた。
空は紫がかった青、空中には光る蝶のような生き物が舞い、遠くの森からは不思議な楽器の音が聞こえてくる。

「ようこそ、境界の世界へ」

声をかけてきたのは、長い耳を持つ少女だった。
人間ではない。
その目は金色に輝き、どこか懐かしいような雰囲気を纏っていた。

彼女の名はフィリア。
この世界の「境界管理者」だという。

「この世界には、時々“迷い人”が来るの。きっと、あなたもその一人。でも、何か理由があってここに来たのでしょう?」

僕は祖父の話を思い出しながら、彼女にすべてを話した。

フィリアは静かに頷き、僕を小高い丘の上へと案内した。
そこには、大きな湖と、湖面に浮かぶように建つガラスの館があった。

「この館には、“過去を映す水”があるわ。もしかしたら、あなたのおじいさんの痕跡もあるかもしれない」

僕は迷わず館の中へ入った。
中央には広大な水盤があり、覗き込むとそこに映ったのは、若き日の祖父の姿だった。
彼もまた、同じようにこの世界に来ていた。
そして誰かと一緒に笑っている。
――フィリアだ。

「おじいちゃん……」

「彼は一度この世界に希望を持ち、そして帰ったわ。でも最後まで、この世界のことを忘れなかった」

時間の感覚が曖昧になる中で、僕はその映像に見入った。

気づけば、フィリアがそっと微笑んでいた。

「あなたも、選べるのよ。ここに残るか、元の世界に戻るか」

僕は迷った。
でも、祖父が帰ったように、僕もまた帰ることに決めた。
あの世界にも、まだ僕の“物語”は残っているから。

フィリアは何も言わず、ただ頷いてくれた。

そして、再びトンネルを通ったとき、僕はいつもの町の外れに戻っていた。
空は茜色に染まり、鳥たちが静かに家路についている。

だが、トンネルの中には、確かに“あの世界”の残り香があった。

そして、僕は思うのだ。

あのトンネルは、単なる道ではない。
誰かが“探しに来る”ための、扉なのだと――。