仙台の小さな居酒屋、「炭火焼まる福」。
そこで働く青年・直樹は、牛タンが好きだった。
いや、好きなんて言葉じゃ足りない。
牛タンのために生きている、と言っても過言ではないくらいだ。
炭火でじっくり焼かれ、肉厚なのに柔らかい。
噛むたびに広がる旨味と、添えられた南蛮味噌の辛味が絶妙に絡む。
そんな牛タンを一口頬張るたび、直樹はある人の顔を思い出す。
──ユリ。
大学の頃、東京で出会った同級生。
笑顔がやわらかく、でも芯の強い女性だった。
彼女は東京生まれ東京育ちで、最初は「牛タンなんて焼肉の端っこでしょ?」なんて言っていた。
けれど、直樹が連れて行った仙台旅行で人生が変わった。
まる福の本店で食べた牛タンに、彼女は目を丸くした。
「……こんなにおいしいの?知らなかった……!」
それから彼女も牛タンにハマった。
大学卒業後、ふたりは仙台で暮らすようになり、まる福の暖簾を受け継ぐことになった。
夢だった。
店を持ち、毎日牛タンを焼き、愛する人と笑い合う日々。
だが、それは長く続かなかった。
ユリが病に倒れたのは、開店してからわずか一年後のことだった。
原因不明の免疫疾患。
入退院を繰り返し、やがて、食事もままならなくなった。
「牛タン、食べたいなあ……」
病室のベッドで、彼女がそう呟いたのは、亡くなる一ヶ月前のことだった。
直樹はその言葉を忘れなかった。
病院に許可を取り、特別に炭火を使わず調理した牛タンを持っていった。
でも、彼女は一口しか食べられなかった。
笑顔だったけれど、無理してるのがわかった。
それでも、彼女は言った。
「やっぱり、直樹の焼いた牛タンが一番だね」
その言葉を胸に、彼は今も牛タンを焼いている。
亡き恋人との思い出を噛みしめるように、一枚ずつ、丁寧に。
客の一人に、女子高校生がいる。
名前はミオ。
部活帰りに毎週来て、一人前の牛タン定食をたいらげる。
「おじさん、なんでそんなに牛タンうまく焼けるの?」
「好きだから、かな」
「ふーん。じゃあ、私も好きなもの見つけたら、上手になれるかな」
「きっと、なれるよ」
ミオは嬉しそうに笑い、牛タンを頬張る。
その姿に、どこかユリの面影を感じるのだった。
まる福の厨房には、今もユリのレシピノートが置いてある。
南蛮味噌の配合、麦飯の炊き方、テールスープの仕込み。
直樹はそれを毎朝見直してから、仕込みを始める。
牛タンは、ただの料理じゃない。
彼にとっては、恋人との記憶であり、夢の証であり、未来への希望でもある。
きっと、今日も誰かが「おいしい」と笑ってくれる。
そう信じて、直樹はまた、一枚の牛タンを網の上に置いた。