春の風がようやく冬の冷たさを追い払ったある朝、古びた一軒家の台所で、ふっくらと湯気を上げる蒸し器の中から、ほのかに甘く香ばしい香りが漂っていた。
もち米に小豆の色がうつった、あの懐かしい赤いごはん——赤飯だ。
「よし、炊けたね」
ふたり分の赤飯を木のしゃもじで混ぜながら、静江は満足そうに頷いた。
今日は孫の結衣が高校に合格した祝いの日だった。
幼いころから家に預けられ、静江と一緒に暮らしてきた結衣。
苦労もあったが、あの子が今朝、「受かったよ」と電話口で泣きながら報告してきた声が、何よりのごちそうだった。
赤飯は、静江にとって特別な料理だった。
初潮を迎えたとき、成人式、就職祝い、結婚式、出産——人生の節目に、いつも赤飯があった。
今はもう亡くなった母が、いつも「おめでたい時はこれに限る」と言って、蒸籠で丁寧に炊いてくれたのを思い出す。
あの頃は、なんでこんな赤いごはんをわざわざ食べるんだろうと思ったけれど、今になってその意味がわかる。
小豆の赤は「魔除け」、もち米は「祝福」。
それらを一緒に炊き上げることで、苦しみを乗り越えてきた命をたたえ、次なる道を祈る——そんな日本の知恵が、赤飯には詰まっていた。
午前十一時過ぎ、玄関の戸が開く音がした。
「ばあちゃん! ただいま!」
結衣が、真新しい制服姿で駆け込んでくる。
少しだけ丈の長いスカートが、まだ彼女には大人びて見えた。
「おかえり。お腹すいたでしょう? ほら、できてるよ」
テーブルには赤飯と、お吸い物、そして漬物。
豪華ではないが、心を込めた祝い膳だ。
「わあ、赤飯! やっぱり、ばあちゃんはこれだよね」
結衣は箸を手に取り、口に運んだ。
「うん、おいしい……。なんか、涙出そう」
「また泣くの? 今朝も電話で泣いてたじゃない」
「だってさ、こんなに嬉しいの、初めてだもん」
結衣は箸を置き、静江の手をそっと握った。
「ばあちゃん、ありがとう。ここまで育ててくれて」
静江は驚きながらも、その手を握り返した。
「こちらこそ、ありがとう。あんたが頑張ってくれたから、ばあちゃんも元気でいられたよ」
窓の外では、桜の蕾がふくらみはじめていた。
季節はまた、巡ってゆく。
ふたりで食べる赤飯の味は、これまでの苦労を包みこみ、これから始まる新たな人生の第一歩を、やさしく後押ししてくれる。
赤飯は、ただのごはんじゃない。
それは、「あなたの人生は祝福されているよ」という、昔からのささやかな祈りだった。
そして今日もまた、新しい物語が始まる——赤飯の日に。