風間直樹(かざま・なおき)は、物心ついたときから本が好きだった。
最初に読んだのは、色褪せた児童書――冒険もののファンタジーで、ページをめくるたびに異世界へと連れていかれる感覚に心を奪われた。
以来、本は彼の世界の中心になった。
高校では図書委員を務め、大学でも文学部に進学。
卒業後は出版社に就職したが、編集ではなく営業部に配属されたことに少しだけ不満を抱きつつも、本に関わる仕事ができることに感謝していた。
30歳を過ぎた頃、ふとした瞬間に思った。
「俺の人生、もっと本に囲まれていたいな」
その思いは徐々に膨れ上がり、「いつか図書館のような家を建てたい」という夢に姿を変えた。
休日には建築雑誌を読み漁り、有名な図書館の設計図をネットで探し、棚の寸法や窓の配置までメモした。
周囲からは「書斎でいいじゃないか」と笑われたが、直樹の中では“図書館”と“書斎”は別物だった。
彼の目指すのは、ただ本を読む場所ではない。
本と一緒に呼吸し、暮らし、人生を重ねていける空間。
ある年の春、直樹は都内のマンションを引き払い、郊外の古家付き土地を購入した。
友人たちは口々に心配した。
「通勤、遠すぎない?」「その年で田舎暮らし?」
だが、直樹は揺るがなかった。
むしろ笑って言った。
「俺は通勤の電車の中でも読めるし、何より、やっと図書館を建てられるんだ」
彼は地元の設計士に依頼し、「本に優しく、人にも優しい家」をコンセプトにした図面を描いてもらった。
壁一面の本棚、階段と一体化した読書スペース、天窓から差し込む柔らかな光。
リビングには暖炉を、寝室には一段低い“読書の穴”を。
バスルームの横には、湿気に強いガラス張りの棚。
建築中、職人たちは笑っていた。
「こりゃ本気だな」「まるで図書館を建ててるみたいだ」
直樹はその言葉に満足げに頷いた。
完成した家は、外から見るとただのモダンな木造住宅だったが、中に一歩足を踏み入れると、本の香りと木の温もりに包まれる。
本棚にはジャンル別に分類された蔵書が並び、一冊一冊が家の記憶を作っていく。
ある日、ふと訪ねてきた近所の少年が、玄関で立ち止まって言った。
「ここ、図書館なの?」
直樹は笑って答えた。
「違うよ。でも、図書館みたいな家なんだ」
少年は目を輝かせて「入ってもいい?」と聞いた。
その日から、近所の子供たちや読書好きの人々が時々訪れるようになった。
直樹は彼らのために小さな読書会を開き、貸し出しノートまで用意した。
「本を読む家」は、やがて「本が集まる場所」になっていった。
そして直樹は気づく。
自分が本に囲まれて暮らしたいと思っていたのは、本を通じて人とつながりたいという願いだったのだと。
夜、ひとりで本棚の間を歩きながら、直樹はふと空を見上げた。
天窓の向こうに、月明かりが静かに落ちていた。
「いいな……この家。ここが、俺の人生の物語だ」
本のページをめくる音が、家の中に静かに響いた。