陽が傾き始めた春の午後、公園のベンチに一人の青年が座っていた。
名前は直人(なおと)、二十五歳。
手にはコンビニの袋、そして中にはひとつのチョコレートアイス。
それは昔から彼のお気に入りだった。
どんなに暑くても寒くても、コンビニでアイスを選ぶ時は決まってチョコ。
なめらかで、少しビターなあの味。
口に含むと、どこか懐かしい感覚が広がる。
その理由は、彼の幼少期にさかのぼる。
直人の母親は、とてもおしゃべりで、やさしくて、ちょっとおっちょこちょいだった。
けれど、料理は苦手で、特にお菓子作りとなると壊滅的だった。
だから直人の誕生日には、いつも母親が「お菓子は買ったほうがいい」と言いながら、近所のコンビニでチョコレートアイスを買ってくれた。
「誕生日にはチョコレートアイス。うちの伝統よ」
笑いながらそう言う母の顔を、今でも覚えている。
直人が高校生になった頃、母は病に倒れた。
闘病は長く、徐々に弱っていく姿を見るのはつらかったが、母は最後まで笑顔を忘れなかった。
「ねえ、チョコレートアイス、まだ好き?」
病室で、最後に一緒に食べたのもチョコレートアイスだった。
「うん、変わらず一番好きだよ」
直人はそう答え、母の手を握った。
冷たいアイスと、温かい手の感触。
その両方が、今も彼の心に残っている。
大学を卒業し、社会人になってからというもの、毎日は慌ただしく過ぎていった。
だが、ふとした瞬間に、あの甘くてほろ苦い味が恋しくなる。
そして今日。
久しぶりに休みが取れた午後、彼は母とよく訪れたこの公園にやって来た。
桜が咲き始め、風がやさしく吹いている。
ベンチに座りながら、ゆっくりとアイスの包みを開けた。
一口かじる。チョコの香りと共に、思い出がよみがえる。
「やっぱり、うまいな」
誰に言うでもなくつぶやいた時、隣のベンチに少女が座った。
小学三年生くらいだろうか、少し背中を丸め、膝の上にカップのアイスを乗せている。
「それ、チョコレート?」
少女が話しかけてきた。
「うん、チョコレート。君も?」
「うん。わたし、チョコアイスがいちばん好き。パパはバニラ派だけど」
そう言って笑った顔が、どこか母に似ていて、直人は少し驚いた。
「いいよね、チョコ。ちょっと大人っぽくて」
「そうそう、苦いけど甘くて、なんか、いいの」
思わず吹き出す直人。
少女も釣られて笑った。
「じゃあさ、お兄ちゃんも今日、いい日だった?」
「うん。とってもいい日」
少女は満足そうにうなずき、アイスをひとくち、口に運んだ。
やがて彼女の父親らしき男性が迎えに来て、手を引かれながら去っていく。
その後ろ姿を見送りながら、直人は残りのアイスをゆっくり味わった。
チョコレートアイス。
それはただのデザートじゃない。
思い出を運び、つながりを感じさせてくれる、小さな魔法。
母の記憶も、あの笑顔も、この甘さの中に今も息づいている。
直人はベンチを立ち、空になったカップをゴミ箱に捨てると、そっと空を見上げた。
「また来るよ、母さん」
桜が、風に乗って舞った。