陽が傾きかけた放課後の教室。
机の引き出しから取り出した小さなアルバムを、花音(かのん)はそっと開いた。
そこには色とりどりのシールがぎっしり貼られている。
動物、スイーツ、キラキラの宝石、アイドルの笑顔、キャラクターたち……。小学校1年生の頃から集め続けてきたシールたちは、どれも思い出が詰まっていた。
花音は中学2年生になった今でも、シール集めをやめられずにいた。
友達と遊んだ帰り道、文房具店に寄って新作シールをチェックするのが日課だ。
誕生日や遠足の日には「記念シール」として特別な一枚を選ぶ。誰に褒められるわけでもない。
でも、アルバムにシールを並べる瞬間が、何よりも心を満たすのだった。
ところが最近、そんな花音の趣味がクラスの女子たちに知られてしまった。
きっかけは、授業中にアルバムを開いていたところを、後ろの席の奈々に見られたことだった。
奈々は「え、まだシールなんか集めてるの?」と声を上げ、周りの子たちがクスクス笑った。
「子どもっぽくない?」 「小学生じゃん、それ」 「もう中2だよ?」
そんな言葉が次々に飛んできて、花音はアルバムを強く抱きしめた。
言い返したくても、声が出なかった。
たしかに、クラスの子たちはみんな流行りのコスメやアクセサリーに夢中で、シールなんか話題にもしない。
花音自身、シールが「子どもっぽいもの」だとわかっている。
でも、やめられない。
シールを集めることで、自分の中の大切な何かを守っている気がするから。
その日の帰り道、いつもの文房具店の前で花音は立ち止まった。
中に入るか迷ったが、結局、扉を開けた。
店の奥にひっそりと並ぶシールコーナーに向かうと、新作の棚にひときわ輝くシールがあった。
透明なフィルムに、星や月のモチーフがきらめいている。
花音は思わず手を伸ばした。
「それ、きれいだよね」
不意に声をかけられて驚く。
振り向くと、そこには見覚えのない同年代の女の子がいた。
黒髪のショートヘアに、大きなヘッドフォンを首にかけている。
ちょっと大人っぽい雰囲気のその子は、花音と同じシールを手に取って微笑んだ。
「私もシール集めてるんだ。こんなに綺麗なの、久しぶりに見た」
「……中学生?」
「うん。3年。引っ越してきたばっかりで、よくここに来るんだ」
大人っぽい見た目に反して、その子の声にはどこか柔らかさがあった。
シールが好きだと言うその言葉に、花音の胸の奥がじんわり温かくなる。
「私もシール集めてるの」
花音が勇気を出してそう伝えると、女の子は目を輝かせた。
「どんなの集めてる?見せてくれない?」
花音は少し迷ったが、カバンの中からアルバムを取り出して差し出した。
女の子はアルバムを丁寧にめくりながら、「これ、すごいかわいい!」「このシリーズ、もう廃盤じゃない?」と、まるで宝物を見るような目で見てくれた。
「シールってさ、その時その時の気持ちが閉じ込められてるよね。懐かしい気持ちになったり、その時の匂いまで思い出したり」
「わかる!」
初めて「わかる」と言ってくれた人がいた。
花音の目が少し潤む。
自分だけの小さな世界だと思っていたシールの世界に、誰かが一緒に入ってきてくれたことが、信じられないほど嬉しかった。
それから花音は、その子――美月(みつき)と何度もシール交換をしたり、一緒にシールショップを巡ったりするようになった。
放課後に誰かと「今日はこれ買ったんだ」と見せ合う時間が、何よりも楽しいものになった。
ある日、美月がふとこんなことを言った。
「中学生だからって、大人っぽくしなきゃいけないわけじゃないよね。好きなものは、好きでいいんだよ」
その言葉が、花音の胸にすとんと落ちた。
やがて花音は、美月と一緒に「シール交換会」を企画した。
SNSで呼びかけると、近所だけでなく遠くからもシール好きが集まった。
小学生から大人まで、年齢なんて関係なかった。
誰も笑わず、みんな目を輝かせてシールを語っていた。
「シールってさ、紙なのに宝石みたいだよね」
そう呟いたのは美月だった。
花音は深くうなずいた。
シールには形があって、光があって、思い出が詰まっている。
まるで、小さな物語のかけらみたいに。
シール集めは、決して「子どもっぽいもの」なんかじゃない。
好きなものを堂々と好きだと言える、その気持ちこそが、少しだけ大人になった証かもしれない。
今日も花音のアルバムには、新しいシールが増えていく。
そこには、新しい思い出と、新しい友達の笑顔も一緒に貼られていた。