その町には、伝説のキーマカレーがあった。
インド料理店「マサラマスターズ」の名物メニュー、「究極のキーマカレー」である。
一度食べれば、カレー好きはもちろん、ラーメン派も寿司派もパンケーキ愛好家までもが、すべてキーマカレー信者になってしまうという恐るべき一皿。
噂によると、秘伝のスパイスは、異次元の食欲を呼び起こす「幻のスパイス」だとか。
店主のシャンカルさんは、「わたしのキーマカレーはただの料理じゃない。これは運命だ」と、よく分からない名言を残していた。
そんなある日、事件は起きた。
「キーマカレーが作れない! スパイスが全部消えたんだ!」
早朝から悲鳴が響き渡った。
「マサラマスターズ」の倉庫から、キーマカレーに使うスパイスが、きれいさっぱり消えていたのだ。
ターメリック、クミン、コリアンダー、ガラムマサラ……どころか、カレー粉さえ跡形もなく消えている。
代わりに床に残っていたのは、謎の足跡。
片足はサンダル、もう片足は裸足。
奇妙なにおいが漂っていた。
それは……かすかにカレーの香り。
「これは、カレーバクだ」
町の古老、カレー仙人はそう言った。
カレーバクとは、伝説のスパイス怪獣で、世界中の美味しいカレーの香りに引き寄せられて現れ、スパイスを食い尽くしてしまうという。
姿を見た者はいないが、「片足サンダル、片足裸足」という特徴だけが語り継がれている。
だが、そんなものは都市伝説のはずだった。
「まさか本当にいたとは…」
シャンカルさんは頭を抱えた。
「カレーバクにスパイスを奪われたら、もうキーマカレーは作れない。わたしの運命は終わった……」
だが、そこへ現れたのは、店の常連でカレー探偵を名乗る男、「スパイシー田中」。
田中はスパイス柄のシャツに身を包み、額にはターメリック色のバンダナを巻き、カレーの香りがする虫眼鏡を持ち歩く自称名探偵。
カレー界では誰も知らないが、本人だけは「世界的カレー探偵」を名乗っていた。
「任せてください! この事件、必ず解決します!」
スパイシー田中は、消えたスパイスの行方を追うため、床の足跡を匂いながら町を歩き回った。
犬に間違えられて警察に通報されかけたが、気にしない。
やがて、足跡は町外れの古びた倉庫へと続いていた。
倉庫の扉には、手書きで「カレー工房」と書かれた紙が貼ってある。
誰の店でもない、謎の工房。
田中がそっと扉を開けると、そこには一匹の巨大な生き物がいた。
全身がカレー色に輝き、口からはターメリックの香り。
片足にサンダル、もう片足は裸足。まさにカレーバクだ!
だが、カレーバクは泣いていた。目には涙、鼻からはスパイスの香りの鼻水。
「わ、わたしは悪くない……!」
カレーバクは涙ながらに語った。
実はカレーバク、元はただのカレー好きな妖精だった。
しかし、100年ほど前にカレーを食べすぎて身体がスパイスそのものになってしまったのだ。
以来、スパイスを見ると吸い寄せられてしまい、食べずにはいられない体質に。
けれど本人は、実はキーマカレーが大好きで、シャンカルさんの「究極のキーマカレー」に憧れていたのだ。
「でも、わたしがスパイスを食べちゃうから、お店には行けないの……だから、こっそり倉庫からスパイスを盗んで、自分で作ろうとしたんだ……」
カレーバクの涙がコリアンダーの香りを放ちながら地面に落ちる。
「それなら!」と田中が立ち上がった。
「スパイスを食べても満足できる、最高のキーマカレーを作ればいい! そうすれば、もうスパイスを盗まなくてもいい!」
シャンカルさんとスパイシー田中、そしてカレーバクの奇妙な料理特訓が始まった。
カレーバクの体内には無数のスパイスが眠っている。
それを鼻息で少しずつ吐き出しながら、「カレーバク特製スパイスミックス」を生み出したのだ。
クミンの香りとガラムマサラの奥深さ、そして涙で濡れたターメリックが混ざり合い、伝説を超える「カレーバクキーマカレー」が完成した。
一口食べると、口の中でスパイスの宇宙が広がる。
そして、食べた人はもれなく「片足サンダル片足裸足」になり、カレーの香りをまとってしまうという後遺症つき。
こうして、「マサラマスターズ」は、カレーバク公認の店となり、「世界で唯一、カレーバクも認めたキーマカレーの店」として、さらに繁盛したのだった。
カレーバクは常連客として毎日通い、店先では片足サンダル片足裸足のカレー愛好家たちが行列を作る。
今日も町にはスパイスの香りが漂っている——。
カレーバクは、にんまりと笑った。