小さな村の外れに、一本の古いリンゴの木があった。
村の誰もが知るその木は、毎年秋になると不思議なほど甘く、香り高い実をつける。
そのリンゴは「星のしずく」と呼ばれ、村の名物になっていた。
しかし、村人はその実をそのまま食べることはなく、ある特別な飲み物に変えるために使っていた。
村の広場にある石造りの工房。
そこには代々村に伝わる「星のしずくサイダー」を作る職人が住んでいた。
現在の職人はマリヤという女性で、彼女の祖母、そのまた祖母から受け継がれてきた技術を一身に背負っていた。
星のしずくサイダーは、村の秋祭りにしか飲むことができない特別な飲み物だった。
きらきらと輝く黄金色の液体。
口に含めば、シュワッと弾ける泡が甘いリンゴの香りを運び、飲んだ瞬間、体がじんわりと温かくなる。
「一口飲めば、心まで満たされる」と言われ、村の人々はこのサイダーを何よりも楽しみにしていた。
ある年の秋、マリヤは村の子どもたちを集め、特別にサイダー作りを教えることにした。
村の未来を担う子どもたちに、この技術を少しでも伝えたかったのだ。
工房の石床に座り、マリヤはゆっくりと話し始めた。
「このサイダーには、ただのリンゴだけじゃない。村の思い、願い、そして小さな奇跡が詰まっているのよ。」
子どもたちは目を輝かせながら、マリヤの手元を見つめた。
大きな銅鍋に、星のしずくをたっぷりと入れる。
ひとつひとつ丁寧に皮をむき、種を取り、木べらでゆっくりと煮詰めていく。
その間に、村の井戸から汲んできた冷たい水と、工房の奥にある「時の石」と呼ばれる小さな石をそっと鍋の中に沈める。
「この石にはね、昔の職人たちの思い出が染み込んでいるんだよ。」
石は水の中でかすかに光り、リンゴの香りに溶け込んでいった。
次にマリヤは、花の蜜を一滴、二滴と垂らした。
村の丘に咲く小さな白い花、その花から集めた蜜だ。
それはただの甘味ではなく、飲む人の心をやさしく包む魔法のようなものだった。
煮詰まったリンゴ水を濾して、澄んだ液体にし、そこに村の鍛冶屋が作った炭酸石を入れると、シュワシュワと細かい泡が立ち上った。
子どもたちは、まるで魔法を見ているように声を上げた。
「どうしてこんなにおいしくなるの?」
マリヤはにっこり笑った。
「それはね、みんながこの村を大事に思っているからよ。サイダーはただの飲み物じゃない。村の歴史や、みんなの願いが、少しずつ少しずつ積み重なってできたものなの。」
村の人々は、サイダーを飲むたびに過ぎた季節を思い出し、大切な人を思い浮かべる。
秋祭りに集う村人たちは、誰もが笑顔になり、サイダーを手にして語り合う。
生まれてくる子どもたちにも、星のしずくのサイダーの味が伝わる。
リンゴの木は何百年も前から変わらず、実をつけ続けている。
その木の根元には、昔この村を作った初代の村長の石碑がひっそりと埋まっていた。
マリヤは子どもたちにこう告げた。
「いつか私がいなくなっても、このサイダーはきっと残る。なぜなら、この味を大切に思う人がいる限り、星のしずくも、村も、ずっと続いていくから。」
やがて秋祭りの日がやってきた。
村の広場には屋台が並び、子どもたちは小さな樽に詰めたサイダーを売っていた。
サイダーを口にした村人たちは驚いた。
「今年のサイダーは、どこか懐かしくて、でも新しい。」
それはマリヤの手を離れた、新しい世代のサイダーの味。
子どもたちが初めて自分たちの手で作った、未来の村を思い描くサイダーだった。
村に伝わるアップルサイダーは、こうして未来へとつながっていく。
リンゴの木は変わらず実をつけ、村の子どもたちはサイダーを作り続ける。
泡立つ黄金の液体に、村の思いがいつまでも溶け込んでいくのだった。