田中陽介は、小さな中華料理店の息子として生まれた。
父の作る料理はどれも絶品だったが、特に彼が愛してやまなかったのはエビチリだった。
プリプリのエビに絡む甘辛いソース。
辛さの中にある深み。
彼は子供の頃から「エビチリさえあれば幸せだ」と豪語するほどのエビチリ好きだった。
しかし、父の店は一般的な町中華で、ラーメンやチャーハンも人気メニューだった。
田中はいつか「エビチリだけを極めた店を作る」と密かに夢を抱くようになった。
大学卒業後、彼は一度一般企業に就職したが、どうしても料理の道が忘れられず、父の店を手伝いながら料理を学んだ。
しかし、父に「エビチリ専門店を作りたい」と話すと、猛反対された。
「バカを言うな。エビチリだけで商売が成り立つわけがない。他のメニューがあるから店は回るんだ。」
それでも田中は諦めなかった。
市場調査を重ね、SNSでエビチリに特化した情報を発信し続けた。
やがて「エビチリ専門店があれば行きたい」という声が増え、彼の中で確信が生まれた。
「絶対に成功させる。」
彼は貯金をはたき、銀行から融資を受けて、小さな店を開いた。
店の名前はシンプルに「EBICHILI」。
開店初日は知人たちが駆けつけてくれたが、次の日からは閑古鳥が鳴いた。
通りがかりの客は「エビチリ専門店?そんなの珍しいな」と興味を示すが、結局ほかの店へ流れていく。
焦る田中は、味の改良を重ねた。
エビの種類を変え、ソースの配合を調整し、食感や辛さのバリエーションを増やした。
エビチリ丼、エビチリバーガー、エビチリ春巻きなど、エビチリをアレンジしたメニューも考案した。
さらにSNSを活用し、試食イベントを開いたり、エビチリ好きのインフルエンサーとコラボしたりと、地道な努力を続けた。
半年が過ぎた頃、ある有名なグルメブロガーが「EBICHILI」のことを取り上げた。
「ここは本物のエビチリ愛に溢れている」と絶賛されると、SNSで話題になり、一気に客が増えた。
「エビチリ専門店?最初はどうかと思ったけど、食べてみたらめちゃくちゃ美味い!」
こうした口コミが広がり、店は連日満席になった。
さらに、テレビ番組でも紹介され、「エビチリブーム」の火付け役として注目を浴びるようになった。
店の成功を見届けた父は、ある日そっと店を訪れた。
そしてエビチリを一口食べると、静かに頷いた。
「お前のエビチリは、俺の想像を超えていた。」
涙がこぼれそうになるのを堪えながら、田中は「ありがとう、親父」と答えた。
やがて、田中のエビチリ専門店は全国展開し、「日本一のエビチリ男」と呼ばれるようになった。
しかし、彼の心は変わらない。
「俺はただ、最高のエビチリを作り続けるだけだ。」
エビチリに賭けた男の挑戦は、これからも続いていく――。