山あいの小さな村に、権三(ごんぞう)という男がいた。
権三は幼い頃から川が好きで、父親に教わりながら川漁を覚えた。
特にうなぎを獲る腕は村でも随一で、夜になると松明を片手に川へ向かい、仕掛けた筒を引き上げるのが日課だった。
ある年の夏、村では大干ばつが起きた。
田んぼはひび割れ、井戸の水も底をつきそうになった。
川の水も日に日に減り、普段なら泳いでいるはずの魚の姿もほとんど見えなくなっていた。
そんな中でも、権三は諦めずに川へ通い続けた。
「こんな時こそ、うなぎを獲らねば」
村の人々は米が育たず、食料に困っていた。
せめて、うなぎでも食べられれば、少しは元気が出る。
権三はそう思い、夜ごと川へ足を運んだ。
ある晩、いつものように川へ行くと、不思議なことが起こった。
普段はぴくりとも動かない水面が、まるで生き物のようにざわめいていた。
松明の光を頼りに川を覗くと、川の底で何かがうごめいている。
目を凝らすと、それは見たこともないほど巨大なうなぎだった。
「こんな化け物みたいなうなぎが、この川にいたのか……」
権三はしばし息を呑んだ。
しかし、すぐに冷静さを取り戻し、手に持った銛を構えた。
大きなうなぎなら、それだけ村の助けになる。
そう思い、そっと足を水に入れた。
だが、その瞬間、川の流れが突然強くなり、権三の足元をすくった。
バランスを崩し、水の中に倒れ込むと、まるで意思を持つかのように水が彼を深みに引き込んでいく。
「なんだこれは……!」
必死にもがく権三の耳に、低く響く声が聞こえた。
「人よ……なぜ我を狙う」
驚いて顔を上げると、目の前には、龍のように長く、金色に輝くうなぎがいた。
その目はまるで人間のように鋭く、権三を見据えていた。
「お前は……何者だ」
震える声で尋ねると、うなぎは静かに答えた。
「我はこの川の守り神……古くより、この地の水を司る者なり」
権三は息を呑んだ。
まさか、うなぎの神がこの川にいるとは思いもしなかった。
「なぜ、私を川の底へ引き込んだ……?」
「人よ、お前の心根を試したのだ。お前は食うために、村人を救うために、この川で生きる者たちを獲ってきた。それ自体は悪ではない。だが、今の川は、ただでさえ水が少なく、命の息吹が消えかけている。もし我を獲れば、この川の命は尽き、二度と戻らぬ」
権三は、思わず拳を握った。
確かに、ここ最近は魚の姿も少なくなっていた。
このままうなぎを獲り続ければ、川そのものが死んでしまうかもしれない。
「では、どうすればいい……?」
「川を守れ。人の力でできることをしろ。この川が再び潤う時、我もまた力を取り戻す。その時まで、決して我を獲ろうとするな」
権三はゆっくりとうなずいた。
その瞬間、ふっと体が軽くなり、気がつくと彼は川の浅瀬に横たわっていた。
松明はまだ燃えており、あたりにはいつもの川のせせらぎが響いている。
「……夢だったのか?」
そう思ったが、確かにうなぎの神と話した感触が残っていた。
それから権三は、村人たちと協力し、川を守るための工夫を始めた。
山に木を植え、水源を守り、必要以上に魚を獲らないようにした。
すると次第に雨が降るようになり、干ばつは終わった。
そして、川には再び多くの魚が戻ってきた。
ある晩、権三が川を見つめていると、金色の光が水面を走った。
「ありがとう……」
かすかに聞こえたその声に、権三は静かに手を合わせた。
それ以来、彼は村の「川の守り人」として、うなぎを獲ることよりも、川と共に生きることを選んだのだった。