恵方巻には願いを込めると叶う——その言い伝えを、浩一(こういち)は子供の頃から信じていた。
幼い頃、病弱だった浩一は、節分の夜に母が作ってくれた恵方巻を、恵方を向いて無言で食べることで「元気になりますように」と心の中で願った。
その年の春、浩一は奇跡のように体調を崩すことが減り、次第に健康を取り戻していった。
その経験があって以来、彼にとって恵方巻はただの節分の食べ物ではなく、「願いを叶える神聖なもの」になっていた。
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それから二十年の歳月が流れ、浩一は東京の小さな会社で働く普通のサラリーマンになった。
仕事に追われ、生活も忙しく、節分を意識することも少なくなっていた。
だが、今年の節分は特別だった。
彼には、どうしても叶えたい願いがあった。
「美咲(みさき)にプロポーズを成功させたい」
美咲とは大学時代から付き合っており、かれこれ七年が経つ。
彼女は明るく、気遣いができる女性で、浩一にとってかけがえのない存在だった。
しかし最近は仕事が忙しく、彼女を寂しがらせることも増えていた。
「本当に、このままでいいのだろうか」
そんな不安を抱えながらも、浩一は決意した。
節分の夜、美咲と一緒に恵方巻を食べ、その瞬間にプロポーズの願いを込めるのだ。
昔のように、願いを込めればきっと叶う——そう信じて。
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節分当日、浩一は会社を早めに切り上げ、美咲の好きな具材をたっぷり入れた特製恵方巻を自分で作った。
海老、卵焼き、椎茸、かんぴょう、きゅうり、マグロ、そして美咲の大好物であるアボカド——七種類の具材を丁寧に巻いた。
「お待たせ、美咲!」
夜、美咲の家に着くと、彼女は驚いたように笑った。
「えっ? 恵方巻、作ってきたの?」
「うん。ちゃんと願いを込めながら食べようと思って」
美咲は少し不思議そうな顔をしながらも、嬉しそうに「じゃあ、食べよう!」と恵方を調べ始めた。
「今年の恵方は…南南東だね!」
二人は静かに南南東を向き、それぞれの恵方巻にかぶりついた。
無言で、ただただ噛み締める。
浩一は心の中で強く願った。
(どうか、美咲がプロポーズを受け入れてくれますように——)
恵方巻を食べ終えた瞬間、浩一は深呼吸をし、ポケットから小さな箱を取り出した。
「美咲」
彼女は驚いて目を丸くした。
「俺と結婚してくれないか?」
部屋の中に静寂が訪れる。
美咲は浩一をじっと見つめ、それからゆっくりと微笑んだ。
「……はい」
その一言が、何よりの答えだった。
***
数か月後、二人は結婚式を挙げた。
「そういえば、恵方巻の願い、叶ったね」
美咲が笑いながらそう言うと、浩一は照れくさそうに頷いた。
「うん。やっぱり、恵方巻の力はすごいな」
そして彼らは、毎年の節分を大切にすることを決めた。
浩一にとって恵方巻は、ただの食べ物ではない。
それは「願いを叶える奇跡の巻物」なのだから。