夜遅く、成田国際空港はいつもの賑やかさを失い、静寂に包まれていた。
翌朝の早いフライトのために一晩空港で過ごすことにした大学生の健太は、深夜の空港の雰囲気にどこかワクワクしていた。
人もまばらで、広大な空間に響くアナウンスの声がかえって非日常的な感覚を増幅させていた。
健太は搭乗口の近くの椅子に座り、持ってきた小説を読み始めた。
しかし、いつの間にか意識が薄れ、居眠りをしてしまったようだった。
目を覚ました時、腕時計を見ると午前2時を過ぎていた。
周囲には誰もいない。
先ほどまで座っていた椅子の近くにいた清掃スタッフや旅行客たちの姿も消え、広大な空港には異様な静けさだけが漂っていた。
「ちょっと気味悪いな……」健太は自分に言い聞かせるように呟き、周囲を見回した。
しかし、異常に気付いたのはその時だった。
窓の外は真っ暗で、普段見えるはずの滑走路の灯りも消えている。
さらに奇妙なことに、案内板や電光掲示板の表示も真っ黒だった。
不安に駆られた健太は、手元のスマートフォンを取り出して時間を確認しようとした。
しかし、電波が完全に届いていない。
Wi-Fiの接続も不能だった。
「こんなことあるか?」健太は背筋に寒気を感じた。
辺りを探し回るうちに、ふと遠くの搭乗口の方から人影が動くのが見えた。
安堵の気持ちと同時に、どこか嫌な予感が胸をよぎる。
健太は恐る恐るその影に近づくことにした。
歩いていくと、その人影が背を向けたままじっと立っているのがわかった。
健太は勇気を振り絞って声をかけた。
「すみません、今ここで何が起きているんですか?」
だが、相手は振り返らない。
再び声をかけようとした瞬間、その影が不自然な動きでふらりと消えた。
まるで煙のように。
恐怖が全身を襲い、健太はその場から逃げ出した。
走るうちに空港の構造が変わっていることに気づいた。
見覚えのないゲートや、どこまでも続くような無限の通路が現れ、出口にたどり着けない。
さらには足音が聞こえるようになった。
自分の足音ではない、誰かが追いかけてきているような音だった。
「誰だ!?」振り返ってもそこには誰もいない。
だが、音は確かに近づいてくる。健太は必死に走った。
どれだけ走っても通路は続き、同じようなゲートが現れるだけだ。
その時、不意に背後から冷たい手が肩に触れた。
恐怖に震えながら振り向くと、そこには先ほどの人影が立っていた。
今度ははっきりとその顔が見えたが、それは人間の顔ではなかった。
眼窩だけが空洞になった骸骨のような顔が、不気味に笑っている。
「ここはお前の場所じゃない……戻れないぞ。」
低く唸るような声が響き、健太は叫び声を上げた。
目を開けると、健太は元の椅子に座っていた。
周囲には旅行客たちの姿が戻り、滑走路も灯りで輝いている。
手元の時計を見ると午前5時を指していた。
夢だったのか、と思いたかったが、健太の手には冷たい汗がびっしょりと握りしめられていた。
そして、彼の背中には誰かの手形のような冷たい跡が、今も消えずに残っていた。