シュークリームの約束

食べ物

花澤美咲(はなざわみさき)は、小さな町の図書館で働く28歳の女性だ。
子どもの頃から本が好きで、大人になった今もその情熱は変わらない。
けれど、彼女にはもう一つ、小さな頃から変わらない「大好きなもの」があった。
それは――シュークリーム。

美咲がシュークリームに夢中になったきっかけは、小学校4年生のときだ。
学校から帰ると、いつもキッチンに立つ母が、ふんわり焼けたシュー生地にたっぷりのカスタードクリームを詰めていた。
その甘さ、クリームのなめらかさ、生地のサクサク感。
美咲はその魅力に一瞬で心を奪われた。

だが、中学に上がるころに両親が離婚し、母は家を出ていった。
それ以来、家庭の中には冷たい空気が漂うようになり、美咲は母の作ってくれたシュークリームを思い出しながら過ごした。
甘い記憶は、彼女にとって心の支えであり、寂しさを埋めるものであった。

大人になった美咲は、町の小さな図書館で司書として働き始めた。
本の整理や貸し出しの仕事は単調だったが、美咲にとっては心地よい日々だった。
ただし、どんなに忙しくても、毎週金曜日だけは必ず早く仕事を終え、行きつけのパティスリー「ラ・クレーム」に立ち寄る。
目的はもちろん、特製のシュークリームだ。

その日は雨が降っていた。
傘を差しながら店に向かうと、店先で一人の男性が立ち止まっているのが見えた。
彼はメニューを見つめながら困った顔をしていた。
どこか憂いを帯びたその横顔に、美咲はふと目を奪われた。

「あの……迷ってるんですか?」思わず声をかけた。

「ええ、初めて来たのでおすすめがわからなくて」と彼が答える。

美咲は自然と笑顔になり、「だったらシュークリームがいいですよ。このお店の看板商品なんです」と言った。
その後、彼と一緒に店内へ入り、同じテーブルで話すことになった。

彼の名前は佐藤翔(さとうしょう)。
隣町で画家をしているという。たまたま展覧会のためにこの町を訪れ、甘いものが好きなのでパティスリーを探していたらしい。
翔は美咲が勧めたシュークリームを一口食べると、目を輝かせた。

「すごい、美味しいですね。こんなにふわっとして、クリームが口の中で溶けるなんて……」

その言葉に美咲も嬉しくなり、自分がシュークリームに感じる喜びを語った。
翔もまた、絵を描くことに対する情熱を話してくれた。
二人は気づけば長い時間を共有し、店を出るころには連絡先を交換するほど打ち解けていた。

それから二人は少しずつ距離を縮めていった。
翔は時々、美咲のために特別なシュークリームを持ってきたり、彼女の家で小さなアートクラスを開いたりした。
美咲は図書館でお気に入りの絵本を選び、翔に贈った。
二人の間には、甘いお菓子のような温かな絆が育まれていった。

しかしある日、翔が突然言った。

「僕、海外で活動することになったんだ。半年後には日本を離れるよ」

その言葉に美咲は一瞬、心が揺れた。
彼と過ごす時間が特別であることを知っていたからこそ、彼を送り出すのが怖かった。
だが、彼の夢を応援したいという気持ちもあった。

「行ってきて、翔さん。私はここで待ってるから。帰ってきたらまた、シュークリームを一緒に食べましょう」

彼女の言葉に翔は微笑み、「絶対に戻ってくる。だから、そのときは君の一番好きなシュークリームを用意してて」と約束を交わした。

翔が日本を離れてから、美咲の日々は以前と変わらなかったようで、少しだけ寂しさを抱えていた。
だが、彼が送ってくれる手紙や写真、時々届く甘いお菓子に励まされ、彼女は笑顔で過ごすことができた。

一年後の春、再び翔が町に戻った日、美咲はシュークリームを2つ用意して彼を待っていた。
彼が図書館の前に現れると、二人は笑顔で再会を喜び、互いの近況を語り合った。

「君がいてくれるから、僕は頑張れたんだよ」と翔が言った。

「私も同じ。シュークリームを通じてたくさんの幸せをもらったよ」と美咲が答える。

その日、二人が分かち合ったシュークリームの味は、これまでで一番甘く、幸せなものだった。