山道の白い影

ホラー

それは、彼らが山道をドライブしていたときのことだ。
カップルの隆史と美咲は、週末を利用して山奥の温泉宿に向かっていた。
車は順調に進み、周りには紅葉の美しい景色が広がっていた。
二人は車内で好きな音楽をかけ、楽しそうに会話をしながら進んでいた。

日が傾き始め、山道は次第に薄暗くなっていった。
美咲がふと窓の外を見て、森の中に何かが動いているのに気がついた。
彼女は「ねぇ、今あれ見た?」と隆史に聞いたが、彼は「何も見えなかったよ」と言って、気にも留めなかった。
だが、美咲の頭の中には、あの奇妙な影が消えない。

しばらく進むと、車のナビが突然フリーズし、道案内をしなくなった。
「おかしいな、電波が悪いのか?」と隆史は独り言を言いながら、古い地図アプリを開いた。
しかし、地図も正常に表示されない。
途方に暮れた二人は、山道の細い路肩に車を停め、しばらく考えた。

「電波が回復するまで、少しここで休もうか」と美咲が提案し、隆史も同意した。
エンジンを切り、二人は車の中で静かに過ごし始めた。
だが、その静けさは不気味だった。
風の音すら聞こえず、まるで森全体が息を潜めて彼らを見守っているようだった。

そのとき、車の後ろで「トンッ」と音がした。
二人は顔を見合わせ、心臓が一瞬止まったような感覚を覚えた。
「何の音?」と美咲が囁くと、隆史は「たぶん、何かが落ちただけだよ」と自分に言い聞かせるように答えた。
しかし、気になった隆史はドアを開け、外に出て確認することにした。

後部座席のドアを開けた彼は、そこに何もないことを確認し、ホッと胸を撫で下ろした。
その瞬間、車の前方に白い影がふっと現れた。反射的に視線を向けると、それは人の形をした霧のようなものだった。
隆史は凍りつき、声も出せずにその場に立ち尽くしてしまった。
美咲も気づき、彼女の顔は青ざめた。

「早く戻ってきて!」美咲は叫んだ。
隆史は我に返り、急いで車に飛び乗った。
ドアをバンと閉めると同時に、影は消えたかのように消滅した。
二人は震えながらもエンジンをかけ、すぐにその場を離れようとした。
だが、車がなかなかエンジンをかけようとしない。
「おい、動けよ!」と隆史がイライラしながらキーを何度も回したが、エンジンはうなりを上げるだけだった。

その時、フロントガラスの向こうに再び白い影が現れた。
今度ははっきりと見えた。
それは白い服を着た女性だった。
顔は見えないが、長い髪を垂らし、彼らの車をじっと見つめているように見えた。
美咲は息を呑み、隆史の腕にしがみついた。
「早くここから逃げて!」彼女の声は震えていた。

必死の思いで隆史がエンジンをかけ直すと、今度はかかり、車は急発進した。
二人は振り返ることなく、全速力で山道を駆け抜けた。
しばらくして、ようやく街灯が見え始め、彼らは少しずつ冷静さを取り戻してきた。
美咲がふと後ろを振り返ると、あの女性の影はもう見えなかった。

「今の…何だったの?」隆史はハンドルを握る手が震えているのを感じながら尋ねた。
美咲も答えられず、ただ「わからない」と呟くだけだった。

二人はそのまま温泉宿にたどり着いたが、車から降りると、後部座席のドアに何かが書かれているのを見つけた。
それは、赤い文字で「ここから出ていけ」と書かれていた。
隆史と美咲は顔を見合わせ、恐怖で声を失った。

その夜、彼らは宿で眠れなかった。
何かが部屋の外を歩く音が聞こえ、扉を叩く音が続いた。
結局、二人は一睡もできず、朝が来るのをただ待ち続けた。
明け方、外を見ると、昨夜の霧のような影がうっすらと立っていた。

彼らは早々に宿を後にし、二度とその山道には近づかなかった。
しかし、車に残された赤い文字の痕跡は消えず、あの夜の出来事は二人の記憶に深く刻まれることとなった。
いつまでも、どこかであの影が見つめているような気がして、彼らは恐怖から逃れられなかった。